痛風研究の歴史

ヒポクラテス
ヒポクラテス キリヌケ成層圏

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ヒポクラテスと痛風

ヒポクラテス(BC460年頃〜377年頃)は、痛風のことを、

関節のあたりに生じる類似のあらゆる疾病のなかでもっとも強烈でもっとも長期にわたりもっとも癒しにくい。[e]

と、その激しさを表しました。そして原因を、

細い血管の中の血液が胆汁と粘液によって腐るとおこる。[e]

としました。痛風にかかる人を観察し、

・去勢された人は、足の痛風にかかることもなく、禿げになることもない。
・閉経前の女性は足の痛風にかからない。
・童貞の男子は足の痛風にかからない。[a]

と記録しました。これは現代の痛風にも通じることで、有名な記述だそうです。
男性ホルモン、女性ホルモンの影響を示したものだと思いますが、ハゲは放っておいて下さい。

治療法も記されていて、

多量の冷水を注ぎかけると、楽になって腫れも縮小し、痛みも解消する。[b]

とにかく冷やせということは今も同じですね。

塩と水をむらなくこね混ぜたものを貼り付ける。これは三日間とってはいけない。これをとったら、今度は赤い生のソーダと少量のハチミツを叩きつぶして、それを塩と同じように同じ期間だけ用いる。[d]

今でいう湿布みたいなものでしょうか? 他にお酢が効くなんてことも書かれています。ですが…

痛みが親指に残っていたら、その指の血管の、付け根の少し上を焼灼する。[e]

これはやめてほしいです…

痛風解明の歴史

痛風は紀元前から人々を苦しめてきましたが、同時にその原因を求めて研究も続けられてきました。

痛風についての記録や発見を年代順にまとめてみます。

BC15世紀エジプトパピルス紙に痛風の治療薬コルチヒン成分を含む薬についての記述
BC5世紀ヒポクラテスギリシャ最初の臨床的観察
BC5世紀ビザンチン医師団 東ローマ帝国 「ヘルメスの指」という名称でコルヒチンを使用
BC25生-AD50没ケルススローマ痛風の家族性について観察
131生-200没ガレノスギリシア痛風結節を最初に記載。遺伝性について述べる
1683シデナムイギリス自らの痛風の臨床症状を記載。痛風が広く知られるようになる
1679レーウェンフックオランダ顕微鏡発明者。痛風結節に針状の結晶を観察
1776シェーレスウェーデン膀胱結石から尿酸を分離
1797ウォラストンイギリス自らの痛風結節の内容を尿酸塩と証明
1854ガロードイギリス糸試験法により、痛風患者の血中尿酸量が異常に多く、痛風が尿酸塩結晶の沈着によることを示す
1898フィッシャードイツ尿酸がプリン体の代謝産物であることを明らかにする
1899Freudweiler尿酸塩を動物に注射し、急性炎症が起こったことから、痛風の原因が尿酸塩であることを証明

Freudweilerてどう読むのでしょう?フリュードウェイラー? その他ヌケ、モレ、マチガイありそうですが…

…こうしてみるとヒポクラテス以降、西欧の科学者は痛風と闘い続けていたことがわかります。それだけ痛風に悩まされていた、ということでしょうか。長らく発症のメカニズムが不明だった痛風は、19世紀中には体内の『尿酸』が原因で起こることがわかってきました。

一方そのころ日本では…痛風という言葉はあったものの、実際かかる人はほぼ(まったく?)いなかったみたいです。

日本の痛風

16世紀・安土桃山時代、布教のため日本へやってきたポルトガルの宣教師フロイス(1532〜1597年)は著書『ヨーロッパ文化と日本文化』に、

われわれの間では瘰癧(るいれき)、結石、足痛風およびペストがおこり易い。すべてこの種の病気は日本では稀である。[p]

と日本の痛風について記しました。「われわれの間」とはヨーロッパのことで「瘰癧」とは結核性頸部リンパ腺炎、首のリンパ節が結核菌で数珠状に腫れる病気の俗称のことです。難しい字です。

明治9年(1876年)お雇い外国人として日本に招かれたドイツ人医師ベルツ(1849〜1913年)も、日本には痛風がないと述べています。大名や豪商など富裕層でも痛風にかかった人の記録は残っていないようです。

このように日本では古来痛風は稀な病気で、ようやく明治31年(1898年)近藤次繁氏によって痛風の報告がなされ、これが日本で初めての痛風とされています[f][h][o]。このころ西欧ではすでに、痛風と尿酸の関係が明らかになっていました。
痛風の発症は食生活の内容に影響を受けますが、痛風がなかったという日本人の食生活が、いかに質素であったかがうかがえます。でも今ならヘルシーということになるのでしょうか?

痛風発見から約50年後、昭和20年(1945年)までの間に46例、昭和30年(1955)までにプラス14例、日本の痛風患者は累計60例しか確認されませんでした[i]
しかしそのころから日本は高度成長期に入り、食の欧米化が進み、動物性タンパク質を多くとるようになります。それと比例するように痛風も徐々に増えていきます。

御巫清允氏による『尿酸研究の現状と将来』(尿酸 第6巻 第1号/1982年)によりますと、氏ご自身が昭和37年(1962年)に、

全国の200床以上の病院の内科と整形外科にアンケート調査を行ない,それから得られた数と,明治31年以来の文献上にあらわれた痛風および私がそれまでに集めた症例の3者を合せて510例の痛風を集めた.[o]

ということをなさっておられます。痛風が確認された明治31年から60年以上もたっているのに、たったの510例って少ないなあ、と思いますが御巫氏は、

昭和35年鈴木(恒雄)博士と一諸に20例の痛風を発表するまでは鐘や太鼓でといった努力で集めたが,その後100例,200例,500例,1000例と夢の如く集り現在5000例以上となってしまったのはわれながらおどろきである.[o]

と、当時のご苦労とその後の意外な展開を述懐されておられます。510例でも夢のように多かったのですね。

さらに昭和40年(1965年)大島良雄氏が同じかたちで全国調査を行い、国内の痛風の累計は1,840例と報告されました[o]

痛風の患者数をまとめると以下のような感じでしょうか。

明治311898日本で初めての報告
昭和201945(+     45)〜累計      46
昭和301955(+     14)〜累計      60
昭和371962(+   450)〜累計    510
昭和401965(+1,390)〜類計  1,840

このあとの資料がよくわからないので少し年がとびますが、厚生労働省大臣官房統計情報部の『国民生活基礎調査』というものによると、痛風にかかって通院している人は、次の表のようになっているそうです。

昭和61198624.5万人
平成元年198928.3
平成4199233.8
平成7199542.3
平成10199859
平成13200169.6
平成16200487.4
平成19200785.4
平成22201095.7
平成252013106.3

一体この間何があったのか…ケタの違いに絶句です。まさに激増。
日本が高度成長期を経て生活や栄養状態が豊かになり、昔は帝王の病だったものが一般庶民の生活習慣病となり、私の左足もこうして痛むようになったわけです。

その当時はマイナーで誰の興味を引くこともなかった痛風という病気は、患者数が増えるにつれて研究も盛んになり、今や日本の痛風研究、創薬は世界の先端を行くものになっています。

巡りめぐってそれが私の左足を癒してくれるということは、とてもありがたいことですし、それも元はヒポクラテスさんのおかげなんだなあ…と思うと二千四百年分感慨深いです。

ギリシャに足向けて眠れません。 …いや、いっそ向けたほうが治るでしょうか?

ここで一句。

悠久の 年を重ねて 痛風いたい

(歴史はくり返します)

痛風にかかったティラノサウルスと古代のミイラ
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痛風関係のサイトや本を読むと、時々「ティラノサウルス」や「ミイラ」の文字を見かけます。発掘、調査したら、それらに痛風の原因である尿酸...

[a]ヒポクラテス全集 第一巻 箴言〈p562〉  [b]〈p551〉 [c]〈p565〉 (大槻真一郎 編集・翻訳/エンタプライズ/1985年)
[d]ヒポクラテス全集 第二巻 婦人病第一巻〈p680-681〉 [e] 疾患について〈p56〉 (大槻真一郎 編集・翻訳/エンタプライズ/1987年)
[f]『痛風病名史考』(鈴木修二 著/リウマチ第9巻 第2号/日本リウマチ学会/1969年)
[g]『痛風のすべて ー歴史から食事療法までー』Ⅱ.痛風の語源,歴史〈p5-7〉 [h] Ⅲ.病名,“痛風”の由来〈P8-9〉 [i]XII.わが国における痛風〈P62-63〉(加賀美年秀 著/メディカル トリビューン/1988年)
[j]『痛風はビールを飲みながらでも治る!』(納光弘 著/小学館/2004年)
[k]『最新醫學別冊 診断と治療のABC 105 高尿酸血症・痛風』 第1章 概念・定義と疫学 痛風と高尿酸血症の定義と歴史〈p13〉(寺井千尋 企画/最新医学社/2015年)
[l]『痛風 発作を起こさないための尿酸コントロール』〈p18〉(巌琢也 著/新星出版社/1999年)
[m]『やさしい痛風・高尿酸血症』(西田琇太郎 著/日本医事新報社/第1版 1984年/第2版 2001年)
[n]『患者のための最新医学 痛風・高尿酸血症』 痛風の歴史〈p54〉(日高雄二 監修/高橋書店/2014年)
[o]『尿酸研究の現状と将来』〈p4〉(御巫清允/尿酸 第6巻 第1号/1982年)
[p]『ヨーロッパ文化と日本文化』 第九章 病気、医者および薬について〈p131〉(ルイス・フロイス 著/岡田章雄 訳注/岩波文庫/1991年)

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